追悼  昆虫食研究の第一人者であり、未来への投資を続けた科学者、三橋淳名誉教授


昨年8月に亡くなられた三橋淳先生。

遅ればせながら、昆虫食界隈に大きな足跡を残した三橋先生を、多少ながら知っている者としてここに追悼の意を書かせて頂きます。


三橋先生は、研究者として様々な昆虫の培養細胞の株化(ほかの研究者がいつでも使いやすい状態にすること、のちに詳しく述べます)に成功され、また、それらの細胞を育てるための培地の開発にも取り組まれ、成果を上げてこられました。


昆虫培養細胞の分野における世界的権威であり、私も幸い学生時代に指導教官から紹介いただき、三橋先生から直接指導を受ける機会がありました。

先生の研究室を訪れた際には、蛾の筋組織がシャーレの中で拍動し続ける様子に、思わず見入ってしまったことを今でも鮮明に覚えています。先生はとても物静かな方でしたが、知識の乏しい私は質問の仕方が分からず、先生が執筆された培養細胞に関する論文を、まさに貪るように読んで学びました。


昆虫の培養細胞は、現在も遺伝子工学における重要なツールとして広く活用されています。しかし、実際に広く使われている昆虫細胞株は、ほんの数種類。培養細胞の特性を詳しく調べたり、研究者が扱いやすいように株化(=通常は数回分裂した後に死滅する細胞を、永続的に増殖できるようにすること)したりする研究は、昆虫の研究でも非常にマイナーなテーマといえます。つまり、現在の研究は、限られた一部の昆虫細胞株をツールとして使うことで事足りている、というわけです。

昆虫培養細胞の基礎研究が、将来どのように役立つのか。多様な昆虫種や様々な組織の細胞を株化することに、どれほどの意義があるのか。将来の研究者が特定の昆虫種や組織の特性を明らかにする際に、これらの細胞株が役立つかもしれません。そして、そうした研究が、思いもよらぬ大発見につながるかもしれない。

基礎研究とは、予測不可能な未来に対する投資である――そのことを、先生の歩みを通して改めて実感します。


三橋先生は、昆虫食の研究もライフワークとされており、『世界昆虫食大全』と『昆虫食文化事典』の2冊は、出版から20~15年近く経った今もなお、昆虫食研究におけるバイブル的存在として高く評価されています。

25年ほど前でしたが、応用動物昆虫学会の総会で、先生がすっと立ち上がり、「これからは我々も昆虫を活用した食料問題について考えていかなければならない時代だ」と強く語られたことを、よく覚えています。普段は物静かな先生が、強い調子で訴えかけていた姿が印象的でした。

しかし当時は、学会の会員たちにも、その問題意識はほとんど共有されなかったように思います。昆虫食に関しては、研究者のみならず、世間も全くと言ってよいほど関心を持っていない時代でした。


昆虫食や培養細胞の研究でも、三橋先生は、科学者として、未来に対する投資を続けてこられたのだなと思います。


目先の利益を追わず、目立たず、次世代、次々世代のために真摯に研究に打ち込まれた姿に、心から敬意を表します。

三橋先生のご冥福を、お祈り申し上げます。



写真は食用昆虫科学研究会の例会にご参加いただいた三橋淳先生(前列右端)を囲んで。

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